【大河ドラマ視聴者必見!】賤ヶ岳の戦いにまつわる史跡4選!
今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」は久しぶりの戦国時代を舞台にした作品ということで日本中の戦国好きが盛り上がってますね!
そんな中でも豊臣秀吉の好敵手と言われたのが柴田勝家。越前を治めていたこともあって福井県内には柴田勝家所縁の史跡がたくさんあります。今回は秀吉と勝家が雌雄を決っした「賤ヶ岳の戦い」に焦点を当てたスポットを紹介したいと思います。豊臣秀吉にとっての関ヶ原とも言われる賤ヶ岳の戦い。
ドラマを見る際の参考にしてみてくださいね♪

加治 まや
歴史旅が大好きな福井県地域おこし協力隊。福井県内の史跡や歴史イベントのレポートをお送りします
4 view
勝家の本陣は福井に!?【玄蕃尾城址】
まずご紹介したいのが敦賀市刀根にある玄蕃尾城。
戦いの中心になった賤ヶ岳自体は現在の滋賀県にありますが、玄蕃尾城は実は滋賀県と福井県にの県境に位置しているのです。
賤ヶ岳の戦いの際に柴田勝家が本陣を置いた場所で、山城としての遺構がとてもよく残っていることで有名です。

車で登山口まで来ましたが途中からどんどん山道に…完全なる山ですね笑
ただ、急な斜面はそこまで多くないので運動不足の私でも割とサクサク進むことができました。
ちなみにこの城の名前になっている"玄蕃"とは、柴田勝家の甥で重臣の佐久間盛政の通称"玄蕃"が由来なのだとか。あまりフィーチャーされませんが佐久間盛政には秀吉も一目置いていて、盛政が捕らえられた際には自分の家臣にならないかと誘ったという逸話もあります。
そんな盛政が地元の人の記憶に強く残り、お城がその名で呼ばれるようになったのかもしれませんね。
20分ほど歩くと主郭に到着。

福井に来てから山城はいくつか登りましたがここまでだだっ広い主郭は初めてかも!

馬出も綺麗に残っていますね。他にも土塁や空堀がとても良い状態で見ることができます。
なぜここまで遺構が綺麗に残っているかというと、実は賤ヶ岳で秀吉方との激闘が起こったあと柴田勝家はこの城で敵を迎え撃つことなく北ノ庄へ敗走してしまうからなんです。せっかく作った城としては残念だったでしょうが、この場所で戦いが起きなかったことにより綺麗な状態で残っているんですね。戦に強かった勝家がどのような城づくりをしたかが伺えるとても貴重なお城です。
戦国の戦いを感じたい方は是非訪れてみてくださいね。
前田利家が柴田勝家を出迎えた?【府中城】
次にご紹介するのは府中城址。
現在の越前市役所の横に遺構があります。

敦賀からだいぶ飛んだように見えますよね?一体この場所がどう賤ヶ岳と関係するのでしょうか?
府中城は織田政権下、前田利家が居城としていた場所でした。(写真の石垣は江戸時代のものと推定)
利家は北ノ庄を治める柴田勝家の下に付き、府中三人衆の1人としてこの辺りを治めていましたが、能登一国を拝領された後は息子の利長が城主だったようです。
このような流れで勝家の配下にいた前田利家は賤ヶ岳の戦いでも勝家方に付いたのです。
賤ヶ岳で1ヶ月近く膠着状態が続いた後、佐久間盛政の猛攻で一時柴田方が優勢になります。しかし戦線を離脱していた秀吉が戻ってきたこと、ある人物が逆に戦線を離脱してしまったことで戦況は一気に変わってしまいます。その人物こそが前田利家なのです。これは利家が柴田方を裏切ったことを意味します。一説によると、若い頃から秀吉と懇意にしていた利家は賤ヶ岳の戦いの前に秀吉と密約していたのでは、という話も。
真相は定かではありませんが前田軍を失った柴田方は大混乱に陥り敗走を余儀なくされてしまいました。
そして、戦線を離脱した前田利家が向かった先が、この府中城。

賤ヶ岳の戦いを描いた後世の書物には、敗走した柴田勝家を前田利家が出迎え勝家は利家の裏切りを責めることはなかった、という話や北ノ庄へ向かう秀吉をこの城で迎えた、という逸話が語られているのだとか。
戦国時代の遺構は残っていませんが、近くには利家とこの辺りを治めた佐々成政、不破光治の城もあるので是非訪れてみてくださいね。
秀吉が本陣を置いた【天魔ケ池】
次にご紹介したいのが足羽山にある天魔ヶ池。
足羽山といえば、福井のシンボルとも言える山で名石の笏谷石が採れることでも有名です。
この場所が賤ヶ岳の戦いにどう関係しているのでしょう?

小さな池なのですが、実は賤ヶ岳から敗走した柴田軍を追って来た羽柴秀吉はこの場所に本陣を置いたと伝わっています。
北ノ庄の街を見渡すことのできるこの場所に本陣を置いたのは合理的ですよね!
足羽山から見た福井市街
高い建物がなかった当時、北庄城は一際高くそびえ建っていたでしょう。
その城を見下ろしながら戦略を練る秀吉の姿が目に浮かぶようですよね。
柴田勝家最期の地【北庄城址(柴田神社)】
最後にご紹介するのはコチラ。

現在は柴田勝家を祀っている柴田神社がありますが、かつてこの場所に柴田勝家が建てた北庄城がありました。
賤ヶ岳から逃げ帰ってきた勝家はこの場所で形勢を立て直そうとしますが2日後には早くも秀吉が足羽山に本陣を構えます。
夜には秀吉の攻撃を受け勝家は一族の者や近臣たちと共にその人生に幕を下ろすことになります。

柴田神社には勝家の他に、お市と浅井三姉妹の像もあります。信長の妹で半年ほどしか婚姻期間のなかった市と姉妹を勝家は逃がそうとしますが市はそれを拒否し自分の娘たちだけを秀吉に託したことは有名ですよね。後世、この三姉妹が豊臣や徳川と深い関係を築いていくのを知っていると、運命の不思議さを感じてしまいます。

どの戦いにも言えることですが、賤ヶ岳の戦いの勝敗が変わっていたら、未来は大きく変わっていたかもしれません。
そんな大きな出来事が福井であったんだー!と感じながら各所を周ってみてくださいね。











