- 正覚寺
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- 浄土宗の大寺で、5つの塔頭(寺)を有します。南北朝時代、越前国守護の斯波(足利)高経が建てた新善光寺城のあった場所に建っています。城は延元3年(1338)の新田義貞との戦いで焼失しましたが、戦乱で戦死した数千人の霊を弔うため、貞治5年(1366)に正覚寺が建立されま…
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- 舟津神社
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- 参道に立つ高さ約6.5mの大鳥居と半木半石でできた赤鳥居は江戸時代中期に建設された貴重な木造鳥居です。杮葺きの本殿は身舎背面に神座を設ける珍しい構造で、現存する神社本殿としては県内最大規模。
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- 鯖江藩家老植田家長屋門
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- 代々鯖江藩の家老を勤めた植田家の長屋門は、今に藩政時代の町並みの面影を伝えます。当時の上級武士の家屋には表門を付けることが許されており、敷地の周囲をめぐらす長屋の一部を門としたことから「長屋門」と呼ばれました。
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- 越前町織田文化歴史館
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- 歴史資料館・図書館・文化交流ホールを有する複合施設です。資料館では、越前二ノ宮劔神社と神仏習合、織田信長と劔神社、越前焼の歴史などをテーマに、考古・文献資料や模型・復元住居を展示しています。
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- タンス町通り
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- 江戸後期より木工技術を持った職人が住み、明治中期ごろに本格的なタンス造りの職人が中心となりタンス町をつくりました。現在では、和洋家具のお店や建具商などの数十軒が軒を並べています。建物も昔のタンス屋の特徴を残したものがあり、一軒一軒見て歩いてみてはい…
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- 莨屋旅館跡(たばこやりょかんあと)
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- 慶応3年(1867)11月、坂本龍馬が暗殺される前に、由利公正と新政府の構想について会談した旅館。夜更けまで日本の将来を語り合ったと言われています。その後火事で焼失した寄留宅の跡に石碑が建てられました。
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- 小松重盛塚
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- 旧名田庄村納田終(小松地区)の南川砂防ダム側にある小松重盛塚。小松重盛とは平清盛の長男のことです。名田庄の集落は平重盛ゆかりの人物が落ち延び、住んだという伝説があります。
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- 常禅寺
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- 平安時代の作とされる不動明王坐像は重要文化財。そのお姿は威風堂々たる風貌で、別名波切不動と呼ばれ漁師たちに信仰されています。
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- 大谷寺大長院
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- 泰澄大師が開き、入寂された地で、平安後期から鎌倉時代に大いに栄えたといわれています。山裾に建つ国の重要文化財に指定されている石造九重塔は、泰澄大師の墓と伝えられています。
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- 言奈地蔵
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- 昔、権六という馬子が旅人を殺し金を奪い、そばの地蔵に「言うなよ!」といったら「地蔵言わぬが我言うな」と言われ山を下りた。その後この峠で殺した旅人の子供と出会い権六は因縁におののき自ら仇を討たれた。という伝説があります。
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- 灯りゃんせ
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- ライトアップイベント「灯りゃんせ」を3年ぶりに開催します。LEDキャンドルや行燈の幻想的な灯りが河野北前船主通りを彩ります。また、北前船主の館右近家では、この日だけの特別イベントをご用意しています。【イベント内容】14:00~16:00 茶会 in 右近家茶室 …
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- 憶念寺
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- 楠正成の弟の弟子の1人である秀見が住居としていた寺を、真宗に転帰したもので、正しくは金剛山憶念寺と呼びます。天保年間から昭和初期にかけて、浄土真宗の大家を輩出しています。
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- 多賀谷左近の墓
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- 多賀谷左近三経(たがやさこん・みつつね)は、初代福井藩主結城秀康の重臣として越前と加賀の国境の鎮めを任ぜられました。関ヶ原の戦いにも功績があり知行は3万2千石でした。※写真は、あわら市郷土歴史資料館より提供多賀谷左近三経は、桃山時代の武将で、若くして下…
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- 椚古墳(石室)
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- あわら市椚にある古墳で、県指定史跡です。天井と奥壁は凝灰岩の1枚岩で構築され、古墳時代後期の発達した構造をもちます。また、石室の内部も見学できる貴重な古墳です。
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- 志比線刻磨崖佛
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- 大本山永平寺がある志比地区の入口にある岩壁に描かれた仏像。永平寺川にかかる曹源橋の、東側から大きくせりだしている岩山の下に、お地蔵さんや石碑、供養塔などが整然と並んでいます。そのすぐ側の直立した岩肌(安山岩)の岩面に、約32.3mに渡って地蔵菩薩坐像・…
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- 天龍寺
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- 天龍寺は1653年に松岡の初代藩主松平昌勝公の命によって建てられた。昌勝公は祖母の死後、その魂の平安を念じ祖母への敬愛の情を表すためにこの寺院を建立した。寺の名前は一部この祖母(清涼)から、また一部は、最初の住職がそれ以前にいた寺の名前(天龍)から取られた…
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- 斎藤実十郎家のひいらぎ
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- 源平合戦で源氏方の木曾義仲軍と戦った平家方の武将 斎藤別当実盛が、戦いの途中に久しぶりに故郷に帰った際、実家の庭先に植えたものと伝わります。管理者の斎藤家は実盛の子孫と伝わり、代々このひいらぎを守り続けています。昭和46年に鯖江市の天然記念物に指定さ…
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- 祇王祇女の屋敷跡
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- 西藤島小学校の隣に、祇王とその妹の祇女が住んでいたと伝わる場所があります。祇王祇女は平家物語にも登場する白拍子(男装で歌い踊る遊女)であり、平清盛の寵愛を受けていましたが、清盛の心は別の白拍子である仏御前に移ってしまい、祇王は館を追い出されてしまいま…
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- 本保陣屋跡
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- 越前国の幕府領を統括する陣屋。1721年~1870年まで約150年間、丹生郡本保村(現越前市本保町)に置かれました。
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- 朝日観音(福通寺)
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- 泰澄大師が開いたとされ、往時は七堂伽藍の建ち並ぶ大きな寺院でした。現在、大師作と伝えられている正観世音菩薩、千手観音(いずれも県指定文化財)が安置されています。
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