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- 矢代観音堂 福寿寺
- 福寿寺本堂に安置の聖観音菩薩は、手杵祭の王女の姿を写したものと伝え、またこの観音菩薩は唐から伝来したものであるともいわれてきた。像高94.7㎝の坐像で、桧材をもちい頭、体部を一材から木取りし、三道部を割り放して首枘を設け、内刳りののち矧ぎよせた構造で、…
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- 若狭路
- 小浜市
- detail_4998.html
- 横井小楠寄留地跡
- 松平春嶽が熊本藩から招聘し福井藩政治顧問となった横井小楠が、福井に訪れた際の寄留宅跡地。坂本龍馬が勝海舟の命で来福した際にこの居宅を訪れています。弟子にあたる由利公正宅とは足羽川を挟んで向かい合っています。
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- あわら・坂井・福井市
- 福井市
- detail_5026.html
- 灯りゃんせ
- ライトアップイベント「灯りゃんせ」を3年ぶりに開催します。LEDキャンドルや行燈の幻想的な灯りが河野北前船主通りを彩ります。また、北前船主の館右近家では、この日だけの特別イベントをご用意しています。【イベント内容】14:00~16:00 茶会 in 右近家茶室 …
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- 丹南
- 南越前町
- detail_5620.html
- 湯尾峠
- 湯尾峠一帯は、古くからの交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった場所でもあります。天正6年(1578)、柴田勝家が北国街道を整備した際に改修が加えられ、現在の峠道になったといわれていますが、木曾義仲が京へ攻め上げる際…
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- 丹南
- 南越前町
- detail_5136.html
- 多賀谷左近の墓
- 多賀谷左近三経(たがやさこん・みつつね)は、初代福井藩主結城秀康の重臣として越前と加賀の国境の鎮めを任ぜられました。関ヶ原の戦いにも功績があり知行は3万2千石でした。※写真は、あわら市郷土歴史資料館より提供多賀谷左近三経は、桃山時代の武将で、若くして下…
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- あわら・坂井・福井市
- あわら市
- detail_1019.html
- 祇王祇女の屋敷跡
- 西藤島小学校の隣に、祇王とその妹の祇女が住んでいたと伝わる場所があります。祇王祇女は平家物語にも登場する白拍子(男装で歌い踊る遊女)であり、平清盛の寵愛を受けていましたが、清盛の心は別の白拍子である仏御前に移ってしまい、祇王は館を追い出されてしまいま…
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- あわら・坂井・福井市
- 福井市
- detail_4927.html
- 慈眼寺
- 嘉慶元年天真自性禅師が開創、本尊は十一面観世音菩薩。往時は末寺が千二百余寺を数えるほどの隆盛を誇りました。一粒の豆の木が、一夜にして驚くほどの大木に成長し、その木の幹で作ったという伝説の「豆の木の臼」が展示されています。
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- 丹南
- 南越前町
- detail_1074.html
- 真照寺
- 天文2年(1533年)、道竹に帰依した朝倉孝景により、一乗谷に建立された天台真盛宗の寺院です。朝倉氏滅亡後、この地に移ったと伝えられています。
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- 丹南
- 越前市
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- 本保陣屋跡
- 越前国の幕府領を統括する陣屋。1721年~1870年まで約150年間、丹生郡本保村(現越前市本保町)に置かれました。
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- 丹南
- 越前市
- detail_1017.html
- 窓安寺
- 奈良時代の養老年間、泰澄大師の開基と伝え、元は池田町の野尻にありましたが、一乗谷朝倉氏の命で天文2年(1533)に越前府中のこの場所に再興された天台宗寺院です。山門をくぐって奥の左手に、石造の不動明王と地蔵菩薩が並び立っており、地蔵菩薩の光背には「永禄三…
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- 丹南
- 越前市
- detail_1085.html
- 正覚寺
- 浄土宗の大寺で、5つの塔頭(寺)を有します。南北朝時代、越前国守護の斯波(足利)高経が建てた新善光寺城のあった場所に建っています。城は延元3年(1338)の新田義貞との戦いで焼失しましたが、戦乱で戦死した数千人の霊を弔うため、貞治5年(1366)に正覚寺が建立されま…
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- 丹南
- 越前市
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- 水生寺
- 水生寺の本尊として、厨子内に安置される十一面観音菩薩立像は像高99cm、寄木造の像です。面長で目鼻が大きく印象的な相好や装飾的な頭髪から、定朝を祖とする仏師の系譜である院派に属した、南北朝時代の仏師が造像を担当したと考えられています。また水生寺の開基は…
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- 若狭路
- 美浜町
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- 美浜町歴史文化館
- 美浜町歴史文化館では、縄文時代まで遡る先人達によって生み出された多くの文化財、歴史・文化に関する資料などを収集・保存し、また調査研究し、公開・活用を図ることなどを目的に開館。美浜町の歴史と文化を町内外に広く情報発信しています。
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- 若狭路
- 美浜町
- detail_1620.html
- 山中峠
- 奈良時代、都から越の国(北陸)に入る旅人は敦賀から山中峠(標高389m)を越えてきました。越前の国を通った最古の北陸官道です。万葉集にも歌われ「万葉の道」とも呼ばれています。
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- 丹南
- 南越前町
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- 馬借街道
- 明治時代まで、北前船と並んで交通の重要な役割を果たしていたのが、府中(武生)と河野を結んだ「西街道」通称「馬借街道」です。馬借とは、室町時代に発達した、馬の背を利用して物資を輸送した運送業者のことで、交通の要であったといわれています。道中は難所も多く…
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- 丹南
- 南越前町
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- 椚古墳(石室)
- あわら市椚にある古墳で、県指定史跡です。天井と奥壁は凝灰岩の1枚岩で構築され、古墳時代後期の発達した構造をもちます。また、石室の内部も見学できる貴重な古墳です。
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- あわら・坂井・福井市
- あわら市
- detail_1013.html
- 妙高寺
- 日蓮宗の記録によれば、創建は寛正5年(1464)。開祖は「立正治国論」を著した日蓮宗の日親。しかし、実は桑野屋彦三衛門が日親に深く帰依して、妙高寺を建立。日親の次男・日栄が住職となりました。桑野屋は、江戸時代には福井藩の両替業務に携わり、町の総代も務めた…
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- 丹南
- 越前市
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- 寺町通り (越前市)
- 総社の少し北側で、旧北陸道から西に延びる通りで国分寺前の道を西に進めば、西詰に引接寺があります。正徳元年(1711)の「正徳元年府中図」には、通りの北側東方に国分寺、南側に常眼時(現本多3丁目)・報恩寺・妙国寺・栄久寺の諸寺院が描かれており、嘉永4年(1851)の…
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- 丹南
- 越前市
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- 下長谷の洞窟
- 甲楽城には「建武四年 後醍醐天皇の皇太子恒良をかくし奉る所、蕉木浦は此なり」と 名勝記に記されている下長谷の洞窟があります。延元二年 金ケ崎城落城の際に気比神宮の神官が、春宮恒良親王を小舟に乗せてここまで渡り、洞窟の中にかくまったと伝えられています。…
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- 丹南
- 南越前町
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- 斎藤実十郎家のひいらぎ
- 源平合戦で源氏方の木曾義仲軍と戦った平家方の武将 斎藤別当実盛が、戦いの途中に久しぶりに故郷に帰った際、実家の庭先に植えたものと伝わります。管理者の斎藤家は実盛の子孫と伝わり、代々このひいらぎを守り続けています。昭和46年に鯖江市の天然記念物に指定さ…
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- 丹南
- 鯖江市
- detail_5147.html