- 晴明神社

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- 平安時代の陰陽師、安倍晴明を祀る神社。数々の火災から町を守ったとして、防火の守としても信仰を集めています。拝殿には、晴明が陰陽道の研究に使ったとされる『祈念石』が安置されています。
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- 大矢谷白山神社(大矢谷の大岩)

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- 大矢谷白山神社境内にある大岩は、経ケ岳火山の山体崩壊に伴う岩屑なだれによって運ばれてきた20m超の巨大な岩塊です。約3〜4万年前に経ヶ岳火山の地震活動などにより、山頂付近から崩れ落ちてきたものです。
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- 梅田雲浜像

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- 梅田雲濱は文化12(1815)年、小浜藩士の家に生まれ、「順造館」に学びました。藩主酒井忠義に対し、再三幕府批判を行い、藩を追放され浪人の身となった雲濱は、当時の幕府大老、井伊直弼排斥を企てたかどで、安政5(1858)年、京都において捕らえられ、護送された江戸で…
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- 金津創作の森

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- 金津創作の森は、自然とのハーモニーの中で、心を動かし創る喜びを体感する人々のコミュニケーションの場です。季節毎に多彩な企画展を行うメイン施設の美術館アートコアやガラス工房、陶芸・ろうけつ染めなどの創作工房があり、自然の中でアートを楽しめます。
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- グリフィス記念館

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- 明治初期に福井藩の教師として活躍した米国人ウィリアム・エリオット・グリフィス(1843~1928年)の邸宅だった洋館をよみがえらせた「福井市グリフィス記念館」が平成27年10月にオープンしました。グリフィスが暮らした洋風住宅の外観を福井市が考証・復元し、福井を愛…
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- 金崎宮

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- 延元元年(1336)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。戦いは厳しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害しました。中腹の金崎宮には両親王が祀られています。戦国の世には朝倉・浅井軍と信長・秀吉・家康の戦いの場…
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- 善徳寺

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- 元治元(1864)年11月1日、尊王攘夷実現のため、常陸国筑波山で挙兵した水戸天狗党は京都を目指します。12月、天狗党一行は池田町を通過。その際、この善徳寺には、三十余人の浪士が宿営しました。翌朝、出発に際し、二人の浪士が髻を切って住職に渡し、「今日を命日と…
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- 永源寺

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- 二条院讃岐の菩提寺であり、境内には百人一首に選ばれている「我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし」の歌碑があり、近くには居館跡があります。「沖の石」は、田烏の沖合7kmにある石といわれています。
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- 武家屋敷旧内山家

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- 幕末期に大野藩の財政再建に尽力した家老の内山七郎右衛門良休と弟の隆佐良隆の偉業を偲ぶため、後の内山家の屋敷を解体復元し保存したものです。母屋は明治15年頃、建築された母屋と渡り廊下で繋がれている離れは大正時代に建てられたものです。切り妻造り平屋建ての…
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- 敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎 )

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- とんがり屋根が印象的な旧敦賀港駅舎。「欧亜国際連絡列車」の発着駅としてかつて重要な位置を占めていた敦賀港駅舎を1999年の「つるがきらめきみなと博21」開催時に再現したものです。敦賀は古くから大陸への玄関口として栄え、近代に入ると日本海側で最初に鉄道が走…
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- 金ヶ崎城跡

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- 敦賀湾を一望する小高い山にある金ヶ崎城跡。様々な時代の逸話がありますが、 平安時代末期、治承・寿永の乱(源平合戦)の時代に、平通盛が北陸で勢力を持つ木曾義仲に対抗するため城を築いたのが最初と言われています。南北朝時代の延元元年(1336年)、恒良、尊良両親…
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- 稲荷の大杉

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- 須波阿湏疑(すわあづき)神社の境内の奥、山道を5分ほど上がったところに、池田町を見守るようにそびえています。高さ40m、樹周10m余りもある北陸有数の大杉。いざなぎの命、いざなみの命を祀る御神木で、県の天然記念物です。
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- 鵜甘神社(池田町)

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- 水海の田楽能舞が奉納される鵜甘神社。その歴史は古く、西暦463年創建ともいわれています。古くから奉納の神事として、この地で生まれた田楽が根づいていました。その後、岐阜県の能郷などとの交流もあったため、白山信仰の文化圏であった能舞が伝わってきたのではな…
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- 福井城山里口御門

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- 山里口御門は、「廊下橋御門(ろうかばしごもん)」や「天守台下門(てんしゅだいしたもん)」とも呼ばれていた福井城本丸の西側を守る枡形門(ますがたもん)です。 江戸初期から本丸の西につながる西二の丸には松林があり、山里丸と呼ばれていました。山里口御門は、この…
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- 地蔵橋

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- かつては旧北陸道沿の川にあり、往来を行く人々を援ける橋として使用されていました。伝承では、ある僧の夢に織田信長の越前侵攻で破却された地蔵が現れ、人々の功徳を願って橋として架けるよう告げたといわれます。
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- 本保陣屋跡

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- 越前国の幕府領を統括する陣屋。1721年~1870年まで約150年間、丹生郡本保村(現越前市本保町)に置かれました。
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- 八百比丘尼入定洞

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- 人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという八百比丘尼伝説。全国を行脚し、貧しい人を助け、椿の種をまき花を咲かせた後、若狭に戻り亡くなったという洞穴。当時を偲ぶ椿の花が今も咲き誇り、健康長寿を願う人々のお参りが今も絶えません。
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- 鵜甘神社(南越前町)

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- 山王山の西麓にあり、延喜式神名帳にも名を残す神社で、鎌倉時代末期には、杣山城の城主・瓜生氏の手厚い保護を受け、そのもとで、社運は大きく隆盛しました。社宝の王の面は、県内でも最古の正安4年(1302)の貴重な作品です。
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- 鯖江藩家老植田家長屋門

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- 代々鯖江藩の家老を勤めた植田家の長屋門は、今に藩政時代の町並みの面影を伝えます。当時の上級武士の家屋には表門を付けることが許されており、敷地の周囲をめぐらす長屋の一部を門としたことから「長屋門」と呼ばれました。
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- 竹林庭園

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- 越前陶芸村で、ひときわ静かな落ち着いたたたずまいを見せる竹林庭園は、竹と笹をテーマにした回遊式の日本庭園で、全国の竹と笹29種類が観賞できる素敵な庭園です。
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