- 三方石観世音のしだれ桜

-
- 本尊の観音菩薩像には右手がなく、昔、弘法大師が一夜で観音像を彫ったが、鶏が夜明けを告げてしまったので右の手首だけを残して下山したと伝えられている。そのため手足の不自由な方にご利益があるという。4月中旬には参道にしだれ桜が咲き乱れる。
- Loading...
- more
- 明光寺の大イチョウ

-
- 明光寺の大イチョウは、境内西側にある雌株のイチョウの大木で、県の天然記念物に指定されています。目通し幹周は5.5m、枝張り約20m、樹高26mです。
- Loading...
- more
- 由利公正広場

-
- 由利公正居宅跡に近い足羽川の幸橋南詰上流側にある広場。公正の恩師である横井小楠の寄留宅跡(幸橋北詰下流側)の方向を向く由利公正像や、五箇条の御誓文の原案となった「議事之体大意」の展示版などが設置されています。由利公正とは由利公正肖像写真(福井市郷土歴…
- Loading...
- more
- 越前焼の館

-
- 越前焼の窯元の商品や作品を一堂に展示即売しています。ゆったりとしたスペースには伝統的な自然釉の壷や花瓶などをはじめ日常的に使われる皿や鉢、さらに現代的なビアマグやワインカップなどバラエティに富んだ約1,000アイテムの商品が常時展示されており、六古窯の…
- Loading...
- more
- 原子力の科学館「あっとほうむ」 (福井原子力センター)

-
- 原子力・エネルギー・電気について体験学習できる科学館。原子力や電気のほかエネルギー・環境・科学の知識や情報がいっぱいの展示館やキャラクターによるクイズ、ゲーム、ムービーショーを体験することができます。
- Loading...
- more
- 河濯山芳春寺

-
- 大日如来を本尊に祭っており、越前市で唯一の臨済宗大徳寺派の寺です。すぐそばを川が流れ、古くはこの川で身を清めてからお参りをしたことから、河濯と呼ばれるようになりました。通称「かわっさん」と呼ばれ、安産・病気快癒にご利益があるといわれ、お参りの人が絶…
- Loading...
- more
- 河野北前船主通りガイドツアー

-
- 日本遺産になっている北前船。その北陸5大船主の一人である右近権左衛門。彼の自宅である右近家をはじめ、北前船の歴史、世界恐慌後、河野の町の人たちに雇用を作ったとされる西洋館などを、わかりやすくご案内いたします。 見ているだけではわからない、北前船の深イ…
- Loading...
- more
- 下長谷の洞窟

-
- 甲楽城には「建武四年 後醍醐天皇の皇太子恒良をかくし奉る所、蕉木浦は此なり」と 名勝記に記されている下長谷の洞窟があります。延元二年 金ケ崎城落城の際に気比神宮の神官が、春宮恒良親王を小舟に乗せてここまで渡り、洞窟の中にかくまったと伝えられています。…
- Loading...
- more
- 鵜甘神社(南越前町)

-
- 山王山の西麓にあり、延喜式神名帳にも名を残す神社で、鎌倉時代末期には、杣山城の城主・瓜生氏の手厚い保護を受け、そのもとで、社運は大きく隆盛しました。社宝の王の面は、県内でも最古の正安4年(1302)の貴重な作品です。
- Loading...
- more
- ホノケ山

-
- 山頂からは丹南の平野や敦賀湾・日本海が見え、自然が多く残る山として親しまれています。ホノケ山には昔、都や府中(越前市)へ異変を知らせるのろし台があったことから、常に火の気に気をつけたことが「火」が「ホ」に転化してホノケ山になったと言われています。塩…
- Loading...
- more
- 若狭国吉城歴史資料館

-
- 若狭国吉城歴史資料館は、朝倉軍の侵攻を数年に渡って退け、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀らも入城したことで知られる国吉城と佐柿の歴史を紹介しています。
- Loading...
- more
- 慈眼寺

-
- 嘉慶元年天真自性禅師が開創、本尊は十一面観世音菩薩。往時は末寺が千二百余寺を数えるほどの隆盛を誇りました。一粒の豆の木が、一夜にして驚くほどの大木に成長し、その木の幹で作ったという伝説の「豆の木の臼」が展示されています。
- Loading...
- more
- 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

-
- 一乗谷朝倉氏遺跡から発掘された資料や道具などを保存している。一乗谷朝倉氏遺跡博物館がオープンしたため、現在はホールやロビーを団体客用に提供するなどしている。
- Loading...
- more
- 椚古墳(石室)

-
- あわら市椚にある古墳で、県指定史跡です。天井と奥壁は凝灰岩の1枚岩で構築され、古墳時代後期の発達した構造をもちます。また、石室の内部も見学できる貴重な古墳です。
- Loading...
- more
- 稲荷神社(福井市西中野町)

-
- 明治32年に旧福井県鶉村出身の山内甚之助氏他8名により開拓されたことが北海道上砂川町の発祥となっています。かつてこの稲荷神社にあった御神体は、現在は上砂川町鶉本町にある鶉神社に移されたため、稲荷神社には御神体が入っていた石逗子のみが残っています。(上砂…
- Loading...
- more
- 匠の美術館

-
- 五色山公園の中にある美術館。日本画や洋画、彫刻、木工作品など様々な美術工芸品が展示され、高浜町出身作家のものも展示しています。
- Loading...
- more
- 大佛寺山

-
- 標高807m。『吉峰寺』から大佛寺山を経て『大本山永平寺』に至る稜線沿いの登山道は、 道元禅師が通われた道ということから「祖跡コース」と呼ばれ親しまれています。
- Loading...
- more
- 斎藤実十郎家のひいらぎ

-
- 源平合戦で源氏方の木曾義仲軍と戦った平家方の武将 斎藤別当実盛が、戦いの途中に久しぶりに故郷に帰った際、実家の庭先に植えたものと伝わります。管理者の斎藤家は実盛の子孫と伝わり、代々このひいらぎを守り続けています。昭和46年に鯖江市の天然記念物に指定さ…
- Loading...
- more
- 蝉丸の墓

-
- 「これやこの ゆくもかえるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の一首で有名な蝉丸の話が伝わっています。諸国を流浪の果て、越前に来て陶の谷にたどり着いた蝉丸は、一軒の農家に滞在中に病気になりこの地に果ててしまいました。蝉丸の遺言どおりこの地域に建てた墓…
- Loading...
- more
- 丹羽長秀墓所(総光寺)

-
- 織田信長から「友であり兄弟」と信頼され、柴田勝家とともに織田家の双璧と呼ばれた重臣、丹羽長秀。その長秀の墓は福井市つくもにある総光寺(菩提所として長秀が創建)にあります。長秀は勝家自決後の北庄城主となり、越前・若狭、加賀2郡を領する大大名となりました…
- Loading...
- more