- 瑞源寺

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- 臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院。泰澄大師が天平宝字年間に、現鯖江市吉江に建立と伝わる。その後荒廃するも、江戸時代に入って第五代七代福井藩主松平吉品公が復興、現在地に移転。本堂、書院が福井城本丸御殿の遺構として、県の文化財に指定されている。9月中旬、…
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- 由利公正宅跡

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- 福井藩財政を再建し、新政府では「五箇条の御誓文」の原案「議事之体大意」を作成した由利公正(三岡八郎)が住んでいた地。ここで横井小楠に連れられた坂本龍馬と三人で会談したとされ、その際に龍馬が詠んだとされる「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く…
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- 燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地(新田塚)

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- 太平記(巻20)によると、暦応元年(1338)、新田義貞は藤島城の救援に向かおうとした際、燈明寺畷付近で足利方の黒丸城の斯波高経軍と遭遇し、乱戦の中戦死したとされています。明暦2年(1656)、この付近の水田から偶然農夫が兜(鉄製銀象眼冑)を掘り出し、当時の藩軍学者…
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- 万葉の里 味真野苑資料館 万葉館

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- 越前市・味真野は、平城の都からこの地に流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の悲しい恋の歌の舞台として知られています。また、万葉集を代表する歌人・大伴家持と大伴池主との間で交わされた歌にも、越前市が…
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- 旬菜食祭 花月楼

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- 明治30年築の文化財「旧料亭花月楼」をリノベーション。かつて花街として栄えた風情ある建物です。1階は郷土料理を楽しめるランチや、和テイストのカフェメニューを楽しめるお食事処。日本の四季を感じるお庭を眺めながら、おくつろぎいただけます。2階の傘を広げたよ…
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- 八百比丘尼入定洞

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- 人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという八百比丘尼伝説。全国を行脚し、貧しい人を助け、椿の種をまき花を咲かせた後、若狭に戻り亡くなったという洞穴。当時を偲ぶ椿の花が今も咲き誇り、健康長寿を願う人々のお参りが今も絶えません。
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- 馬借街道

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- 明治時代まで、北前船と並んで交通の重要な役割を果たしていたのが、府中(武生)と河野を結んだ「西街道」通称「馬借街道」です。馬借とは、室町時代に発達した、馬の背を利用して物資を輸送した運送業者のことで、交通の要であったといわれています。道中は難所も多く…
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- 藤野厳九郎記念館

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- この記念館は、昭和58(1983)年あわら市(旧芦原町)と中国の浙江省紹興市との間で締結された友好都市を記念して、藤野家遺族から三国町宿にあった旧宅を寄贈されたもので、芦原温泉開湯100周年の昭和59(1984)年7月に「藤野厳九郎記念館」としてあわら市文化会館横に移築…
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- 人道の港 敦賀ムゼウム

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- 【2020年11月3日リニューアルオープン】敦賀港は、明治から昭和初期にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点としての役割を担い、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港です。資料館「人道の港敦賀ムゼウム」では…
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- 常宮神社

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- ご祭神は、氣比神宮の仲哀天皇の妻・神功皇后で、「お産の常宮さん」としてあがめられています。毎年7月22日には、仲哀天皇のご祭神が船で海を渡る「総参祭」という全国的にも珍しい神事があり、国宝「朝鮮鐘」が安置されています。
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- 高徳寺

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- 敦賀市にある真宗寺院。江戸初期に建立された本堂は、ほとんど改造されないまま当初の姿を今に伝えており、初期真宗本堂のあり方を示す貴重な建物です。県の指定有形文化財。
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- 三丁町

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- 若狭湾国定公園の中心に位置する小浜市は、百三十余の寺院があり、古くから海のある奈良と呼ばれ、海に抱かれた歴史と文化のまちとして栄えてきました。また、小浜市には古い町並みも多く残されています。小浜公園の近くには「三丁町」と呼ばれるかつての茶屋街があり…
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- 越前禅定道

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- 霊峰白山への参詣道です。かつて白山には禅定道と呼ばれる越前、加賀、美濃の三国から山頂をめざす三本のルートがありました。これは、白山の山頂を、修行でいうところの禅頂と考えたことから名付けられたものです。越前禅定道は直線距離で30キロメートルあり、平泉寺…
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- 常高寺

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- 浅井三姉妹の次女・お初(常高院)が、夫・京極高次の菩提を弔うために建立。小浜出身の槐堂周虎禅師を迎えて開山。お初は大阪冬の陣・夏の陣で徳川、豊臣両家の和平で奔走したことでも歴史に名を残している。寛永10年(1633)、お初が江戸で亡くなり、常高寺に埋葬された…
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- 妙楽寺

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- 霊峰・多田ヶ岳の麓、桜並木の参道より山門をくぐり、境内の静寂はしばし世俗を離れさせてくれます。若狭における最古の建造物である本堂は、寄棟造り檜皮葺で、安置されている木造千手観音菩薩立像(重文)の表情には安らぎを覚えます。
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- 味真野神社

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- 継体天皇を祭る神社。継体天皇は即位する前に味真野で暮らしていたという伝承があります。室町時代には鞍谷氏の城館があり、境内の北と西に土塁の一部が残っています。鞍谷氏とは、足利義光の次子義嗣が兄の義時に疑われて自殺。その子嗣俊が越前に逃れ、鞍谷の姓を名…
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- 引接寺

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- 長亨2年(1488)に建立された天台真盛宗別格本山。総けやき造りの山門がみごと。十六羅漢や滝のぼりする鯉、威厳ある獅子など、勢いのある彫刻がほどこされています。境内に入ると正面に本堂。手前にあるお堂には石の大仏が祭られています。また、市指定文化財の地蔵尊…
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- 窓安寺

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- 奈良時代の養老年間、泰澄大師の開基と伝え、元は池田町の野尻にありましたが、一乗谷朝倉氏の命で天文2年(1533)に越前府中のこの場所に再興された天台宗寺院です。山門をくぐって奥の左手に、石造の不動明王と地蔵菩薩が並び立っており、地蔵菩薩の光背には「永禄三…
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- 本興寺

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- 法華宗真門流の本山クラスの寺院で、5つの塔頭(寺)をもつ大きな寺です。古文書に記された境内の大きさと越前市郊外に残る古代の条里制の遺構の位置から推測して、国府の役所である国衙がここにあったのではといわれていますが、はっきりとしたことはわかっていません…
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- 本勝寺

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- 法華宗の寺院。弘仁元年(810)創建の真言宗寺院を応永33年(1426)に日隆聖人が改宗した寺院。 追討軍に参加していた加賀藩に降伏した水戸天狗党は、敦賀の本勝寺・本妙寺・長遠寺にそれぞれ収容されています。本寺には武田耕雲斎や藤田小四郎ら387名が預けられました。…
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